松本修さんインタビュー

松本 修氏へのインタヴュー (ユーリカアーカイブより)

 対談相手:劇団MODE主宰 松本修 インタヴュアー:阿乃仁益男


阿乃仁 現在のお仕事につかれたキッカケはなんでしょうか?
松本 きっかけは演劇を見たことでしょうね。
阿乃仁 どこでですか?
松本 僕は大学が引前で、大学2年のときまで演劇にひとつも興味がなくて、ジャズと映画がすきだったんです、ちょうどその頃、佐藤信(まこと)さんの黒テントの全国ツアーがやってきて見たんですけど、それが高校時代に見させられた、いわゆる「新劇」とは全然違うんですよ。今までの演劇にたいする考えを一変させられるほどに圧倒されました。そこで大学の演劇サークルに入って、すぐ役者をやらされましたね。それから夏休み東京へ行って、当時はアングラ演劇全盛の時代で、唐(から)十郎さんの「状況劇場」や寺山修司さんの「天井桟敷」を見たんですよ。これが僕らサークルでやっていたのと迫力が違う。で、やるんだったら本格的にやりたくなって大学辞めて、東京へ出てきました。
阿乃仁 それから、文学座へ入られたんですか?
松本 アングラ演劇やるつもりだったんですけど、
阿乃仁 ねぇー(笑い)。
松本 当時アングラ演劇のスターだった根津甚八さんらが次々とやめて、テレビや映画に出演するようになって、いわば僕は「遅れてきた青年」だったんですよ。(笑い)大学辞めたもんですから、親からの仕送りはなくなるしで、東映動画というアニメの会社に潜り込んだんですよ。結構絵を描くのが好きだったもんですから、セルに色を塗っていく仕事です。サイボーグ009というのが流行っていまして、
阿乃仁 それじゃ上京してすぐに入られたわけじゃないんですね。
松本 2~3年後ですね、25歳のときでした。僕の友人で文学座を受ける奴がいて、たまたまそれに付き合ったら僕が合格しちゃったんですね。それでネが真面目なんでしょうか、ちゃんとした演劇の勉強やるんなら新劇ということで、それから足掛け10年いましたね。幸運にも役に恵まれて、杉村(春子)さんの相手役とか、江守(徹)さんからいい役もらうとかしたんですけど、文学座のお芝居というのは僕らの世代の人が見ても若い世代の人が見ても、あまり面白くないと思ったんですね。そこでここにいても仕方がないなと思って辞めたんです、新しい劇団つくろうと思って。
阿乃仁 その時、演出家として出発なさろうとしたんですか?
松本 いえ、いろんな俳優集めてやろうとしたんですけど、いい演出家がいなかったんですね。そこで「おまえ偉そうなこといってるけど、やってみたら?」と言われてやり出したんです、僕は役者やりたかったんですけど。
阿乃仁 それまで演出の勉強はなされていたんですか?演出家と役者は別物と聞いているんですが。
松本 いえ、やってないですね。でも一度やったら面白かったんですね。こりゃ役者より面白いと思いましたね。
阿乃仁 ふーん、で演出家の魅力というか面白さというのはなんでしょうか?
松本 生意気なことを言うようですが、役者というのは自分の演技に集中していればいい、一部分にすぎないんですね。性格的に役者に向いていなかったんでしょうね、僕の演技が観客にどう伝わっているのかだとか、このセリフはこういう解釈でいいのだろうかとかが気になって、演技に集中できない、だから演出家からよく怒鳴られました(笑い)。
阿乃仁 今は怒鳴るほうですね(笑い)
松本 僕は自分がへたな役者だったから、役者さんにここをこうすればいいんだよってことがわかるんじゃないかな。こういうことってあるでしょ?
阿乃仁 名選手、必ずしも名監督にあらずってことですか?
松本 まあ、そうですね。役者さんがうまくできない理由が他の人よりはわかるっていうのかな。
阿乃仁 これまで一緒に仕事をして、印象に残っている人は誰でしょうか?
松本 まあ、一番近いところでいえば去年今年と一緒に仕事をした、柄本明?「ガリレオの生涯」というブレヒトの4時間半の大作を一緒にやったんですけど、演技に対する考え方、なぜ役者は観客にサービスしたがるのかなとか、役者の浅ましさとかで話が合うんですね。それから風吹ジュンさんもなかなかプロだなぁと思いましたよ。フヤーとしているようだけど、けっこう芯が強くてハンパじゃないなと思いました。
阿乃仁 松本さんの劇団モードは、公演ごとに俳優を選ぶというやり方をなさっていますが、選考のキメ手はあるんでしょうか?
松本 う~ん、あるといえば、目立ちたがりだけではダメですね。謙虚さ、恥ずかしさとのバランスが必要じゃないかと思いますよ。
阿乃仁 それじゃ、演技のうまさというのはあんまり、
松本 余り関係ありませんね。技術的なものは稽古場で獲得できますが、恥ずかしがるというのは、その人が本来持っているものじゃないかと思いますね。それからプロに限っていえば、「みてくれ」ですね、ありていに言うと。もちろんその「みてくれ」というのは、顔だけじゃないですよ。その人のもっているフインキだとか、
阿乃仁 今回のワークショップでそのような人はいましたか?
松本 う~ん、まだはっきりとは見ていないので。
阿乃仁 いれば、東京へ誘いますか?私はもちろんそうして欲しくないのですが(笑い)。
松本 誘いますね。しかしそういう人に限って、普通の生活がしたいと言うんですね。
阿乃仁 そうでしょうね(笑い)、安心しました。それから演出家をしていてよかったと思うようなことがありますか?
松本 やっぱ、芝居の初日の祝いや打ち上げのときに、ちょっとカッコつけて言うみたいなんですけど、役者が楽しそうに飲んでるときかな。演出家というのは所詮、消えさる存在なんですが、つまり観客は役者を見にきてるんですね、役者はロビーなんかで「よかったわよ」なんて言われて楽しそうにしている、僕は心のなかでは「馬鹿野郎、お前がうまくいったのはオレのお陰だぞ」と思うけど(笑い)、お客さんが喜んでくれて、ある一定の評価を得たとき、それはやっぱり喜びですね。
阿乃仁 役者さんは評価を受けたら、まあテレビや映画に出てギャラもたくさん貰えるようになりますが、演出家の場合は、
松本 そんなことはないですね。
阿乃仁 それでもやっぱり、
松本 喜びですね。
阿乃仁 それでもこれから劇団を引張っていく?その理由は何でしょう?
松本 商業演劇をやれば、それなりのギャラは貰えるんですが、やっぱこう納得できるというか、サラリーマンなら当り前のことなんですが仕事の上で妥協してしまう、そういう妥協なしで仕事を続けるってところをキープしておきたいというのかな。
阿乃仁 話は全く変わりますが(笑い)、仕事のないときは何をなさってるんですか?
松本 仕事のないときというのは余りないんですが、旅行かな?5年前あんまりくたびれて、半年くら いロシアやヨーロッパへ旅行しましたが、普段はね、東京へ帰らなくてもいい日に近くの温泉に浸かって、酒飲んでボーとしてるのが一番楽しいですね。
阿乃仁 最後になりましたが、演劇の道にすすむ若い人へのメッセージがありましたら。
松本 まずは当り前なんですけど、食えないぞ!と。食えないことに関して覚悟があるかということ。
阿乃仁 金にはならない。それからあと何か。
松本 あとやっぱりあれですね、先生みたいになるけど、勉強しろよっていうか、最終的には勉強の量がモノを言うんですよ、役者でもスタッフでも。今BS放送なんか週3本くらいお芝居の新作やってますよ。必要最低限、それは見て欲しいなぁ。
阿乃仁 私もホントにそう思います。今日はお疲れのところ、ありがとうございました。

松本修(Osamu Matsumoto)
MODE主宰/演出家。1955年、札幌市生まれ。俳優として10年間、文学座に在籍後、1989年に演劇集団MODEを設立。チェーホフ、ベケット、ワイルダーなどの海外の戯曲を、現代日本の劇として再構成・演出して高い評価を得る。また、柳美里や坂手洋二、平田オリザ、松田正隆、宮沢章夫など現代日本の劇作家との共同作業も積極的に行ってきた。1996年~1998年、北海道演劇財団常任演出家。1997年より2001年までの5年間、世田谷パブリックシアターのアソシエイトディレクターをつとめ、同劇場で2001年に1年間にわたるオーディションとワークショップを費やして創作されたカフカの『アメリカ』は好評を博し、03年の再演時には読売演劇大賞優秀作品賞、同優秀演出家賞、毎日芸術賞・千田是也賞を受賞した。05 年に新国立劇場で上演された『城』(カフカ作)は、読売演劇大賞作品賞、優秀演出家賞を受賞。カフカの連作ほか、『わたしが子どもだったころ』(読売演劇大賞優秀作品賞、同優秀演出家賞)、『プラトーノフ』(湯浅芳子賞)、『ガリレオの生涯』などを手がける。近畿大学演劇・芸能専攻教授。